このホームページはIE4.0以上のブラウザでご覧ください
  太田浅次略歴
 
 
 
ミーちゃん有難う、私達はお前を忘れない -   愛猫日記
2002・11・2(土)
満2歳5ケ月  立派な若者、凛々しい姿
相変わらず好奇心旺盛です
写真拡大
 昨日の雨が上がり、秋の空が眩しかった。
ウッドデッキに置かれたミーの遺体が入った籠をフーがじっと見ている。最後の別れを惜しむかのように。
ミーの遺体を後部座席に乗せ妻と二人ペット霊園に向った。午前11時に霊園に着く。コスモスが一面に咲いていた。霊園のMさんの案内で祭壇に遺体を安置した。「コスモスの花びらを沢山摘んでかけてやって下さい」Mさんが言ってくれた。妻と二人、ミーの身体がすっぽりと包み込まれるようにコスモスの花びらを降りかけた。火葬申込書を書いた。天国への添え書にこう記した。
 「ミーちゃん有難う。お前と過ごした日々は本当に幸せだった、やすらかに天国に行っておくれ」
 火葬に費やした時間は約1時間、この間お線香を絶やさないように≠ニ言われ、二人でかわるがわるお線香に火をつけた。
 火葬が終わり妻と二人で骨を拾い、骨壷に入れた。
 「頭、胴、手足、ほぼ身体全体が骨折しており内部出血が激しいです」と説明を受ける。ミーの遺骨が小さな骨壷に納まった。
 ペット霊園には何匹もの猫がのんびりと遊んでいた。聞くところによると、捨てられた猫、迷い猫等この霊園に来た猫は全部食べ物を与え、寝床を作ってあげているという。
お礼を言って帰ろうとした時、霊園のMさんが「モモちゃん」と呼ぶと何処からともなく一匹の猫が現れた。ミーと生き写しのキジトラの猫だった。
 顔、身体つき、尾まで何もかもそっくり、年まで同じ3才だと言う。一瞬連れて帰りたい衝動にかられたが、ミーの替わりはいない。しかもこの猫の居場所はここしかない、と思いとどまった。
 ミーは(遺骨)妻の手に抱かれ我が家に帰って来た。和室の三角コーナーにミーの仏壇を作り、花、水、そして大好きだったキャットフードを供えた。


2002・11・3(日)
 ミーの食器、水飲み、爪とぎ、寛いでいたソファ・椅子、気持ちよさそうに寝入っていたベッド、そしてウッドデッキや壁に残された爪跡・・・記憶を甦えさせる物を見るのがつらかった。特に写真を見ることが・・・。
可愛いしぐさが目に浮かぶ。振り払おうとすればするほど浮かび上がってくる。
 身内や親しい友人に電話やメールでミーの死を知らせた。妻も私も黙っているのがつらく、気持を表に出すことでいくらか気分を紛らわすことが出来るような気がした。哀悼、お悔やみ・・返事がきた。目を通しながら再び胸がつかえてきた。
 ミーの面影がこんなにも深く私達の心に刻み込まれていようとは・・・。


2002・11・6(水)
 ミーの初七日。庭に咲いている菊の花を摘み取り、新しい水と一緒に仏壇に供えた。ミーは今、静かに眠っている。11月12日(火)はイギリスへ旅行に行く予定になっていた。もし姿を見せなかったら旅行はキャンセルし、いつ帰るとも分からないミーを待って長く重苦しい日々を送ることになっただろう。
 「僕はもう何処にも行かないで家に居るから、安心して旅行に行っておいでよ」
 ミーがそんなことを言ったような気がする。ミーが我が家に来たのは3年前、 同じように海外旅行(イタリア)に行く1ヶ月前のことだった。

3年前の10月 ミーとの出会い

1999・10・13(水) 秋の空が果てしなく青く、陽光が眩しい穏やか日だった。
 妻と二人、コスモスが満開と聞いて{くりはま花の国}へ出かけていった。
野原一面に咲いているコスモスが風にゆれ、美しい小波を立てている。
 道なりに歩いて少し小高い所に着いた時、売店が目に入った。丁度昼時、サンドイッチと飲み物を買い、近くに腰を下ろして食べ始めた。
 ガサゴソと何か動く気配を感じ音の方に目を向けると、四匹の猫がすぐ近くで柔らかな日差しを浴びながら寛いでいた。親猫と子猫三匹、人に馴れているせいか逃げようともしなかった。
 通りかかった三人の女性の一人が、そのうちの一匹の子猫を抱き上げ「可愛いい」と言いながら仲間の一人に写真を撮ってもらっていた。そんな光景を目にしながら、その日はそのまま帰宅した。家に帰ってきても何か忘れ物をしてきたような気分だった。妻も同じ気持でいたらしい。 (あの猫達、食べ物や水はあるのだろうか。冷たい雨や風の時はどうしているのだろう) 子猫達の可愛いい顔がちらついた。一匹だけでも連れてきて家族の一員にしょうか・・。いや、家には既にフー(メス猫 6歳)がいるし、1ヶ月後の 11月14日にはイタリア旅行を控えている。今連れてくるのは無理な話だ。
 あれこれ迷っているうちに5日が過ぎた。

3年前の10月

1999・10・18(月) 妻と相談した。もう一度同じ場所に行ってみよう。もしもあそこにいたら連れてこよう。急いで車を走らせた。
 売店の近く、あの日と同じ場所に子猫が一匹昼寝をしていた。あの時、女の人に抱かれ写真を撮られていたキジトラの子猫だった。近くに親猫と他の子猫は見当たらなかった。何処か別の所で遊んでいるのだろう。
 売店の人(若い女性)に聞いた。「この子猫、私の家に連れて行きたいけどいいだろうか・・親猫が戻ってきたら心配するかも知れないね」売店の人が言った「三匹全部が急に居なくなったら心配すると思うけど一匹なら大丈夫よ、他の子猫たちも欲しいと言ってくる人がいると思うわ。可愛いいものね。ゴハンや水?私達もあげているし、ここへ遊びに来る人が結構キャットフードや缶詰をあげているのを見かけるわ。雨の日はここ(売店)の屋根の下で雨やどりしているし・・・」 聞いていくらか安心した。持ってきた一袋のキャットフードを売店の人に渡した。「ここに居る猫たちに食べさせてください」
 キジトラの子猫を毛布に包み妻が抱いた。ミャーミャーと心細げに鳴き続けた。
 名前はすぐに<ミー>と名づけた。
 沢山のコスモスに囲まれた中でミーを抱いている妻の写真を撮った。
 イタリア旅行はキャンセルした。ミーが成長した1年後に行けばいい。

3年前の10月

1999・10・22(金) 健康状態を見てもらうために、ミーをT動物病院に連れて行った。「生まれたのは3ヶ月前、7月頃でしょう。健康状態は良好、全く心配ありませんね」と先生が言ってくれた。この時の体重は2・72kg 誕生日は
1999・7・18と決めた。この年の11月22日 3種混合の予防注射を接種、翌年(2000年)1月17日には去勢手術と、先生には引き続きお世話になった。
 ミーが我が家にきて3ヶ月、体重は3・68kgと発育は順調だった。
 その後の健康状態もすこぶる良好で元気いっぱい、予防注射以外にT動物病院 へ行くことは無かった。今から1年前の2001・10・30日、体重5・65kgこれがミーの健康手帳に記された最後の受診記録となった。

 我が家に来て2〜3日は落ち着かない様子だったが、環境に順応するのは早かった。先輩格のフー姉ちゃんとの折り合いもついた。「フーは大人だからね」
 妻が言った。フーと一緒に身体を寄せ合いながら眠ったり、並んで外を眺めたりする光景をしばしば見かけた。
去勢手術をして3ヶ月位経過した頃からだろうか、やたらと外へ出たがる素振りを見せ始めた。ガラス戸越しに外を眺め、私達の方を見やりながらミャーミャーと(外に出してと訴えるように)鳴くのだ。
 まだ外は危ない。もっと周辺を知ってからでないと、と思いガマンさせた。
 それから2ヶ月過ぎた頃、首輪に紐をつけて庭に連れ出した。最初は恐る恐る周囲を嗅ぎ回るようにしながら暫く遊んでいたが、次第に紐が煩わしいという態度を見せ始めた。
 こうして外へ遊びに行くのが当たり前のようになっていった。陽の光を一杯に浴び、優しい風に撫でられて、屋根から屋根に飛び移り、鳥を追いかけ木に登る。自然を満喫しているようだった。