鎌倉生活 2013年12月15日号 1ページ  
 

 活動弁士活躍の時代

  開催は14時から。会場に集まった参加者の大半が、映画とともに人生を歩んできた中高年たち。
それでも鎌倉に映画館が6館もあったとはご存知ない方も多い。
 そこで第1部が「写真と資料で辿る鎌倉の映画館」と題し、鎌倉映画館変遷史をスクリーンを使って同館・企画担当の増谷文良さんの解説からスタートした。
 鎌倉で映画が上映されたのは明治30年頃で、長谷にあった「快々亭」。ビリヤード場だったが、講談や寄席、さらに活動写真の上映も行われた。
 しかし、映画常設館となると大正2年開館の「鎌倉劇場」(のち鎌倉松竹映画劇場、鎌倉シネマ)で、由比ガ浜通り(現在の笹目)にオープンした。モルタル造りの洋館の2階建、回り舞台がある本格的な劇場だったという。
 当時は無声映画、活動弁士席や楽士たちのオーケストラ席があり、男女別席、警察官も常時館内で目を光らせていた。洋画上映が主だったが、昭和36年火災により全焼、幕を閉じた。


  野外劇場だった「鎌倉市民座」

  大正13年雪ノ下に誕生したのが、「鎌倉常設館」。戦前の時代劇を主に制作した日活系の劇場ということで「鎌倉日活館」、さらに「鎌倉名画座」など名称変更。(現在は五鐘洞ビルが建つ。) 昭和になって誕生したのが「鎌倉市民座」。戦後の解放感から貧しくとも明るく、新しい文化に貪欲だった時代。鎌倉も戦前中断していた鎌倉カーニバルが昭和22年に復活開催、昭和23年には深沢村(1月1日)、大船町(6月1日)が鎌倉市に併合・合併し現在の鎌倉市の形が整った。この年の3月「鎌倉市民座」創立、7月に開館した。
 当初は野外劇場。上映は夜、雨が降れば中止。しかし、2年後の25年3月横浜市で開催された日本貿易博覧会のカマボコ型建物を移築し、昼間も雨の日も映画上映が可能となった。洋画中心。鎌倉郵便局に近いスルガ銀行の場所にあった。

  昭和と共に旧鎌倉から映画館が消えた

  昭和29年12月29日、鎌倉駅西口に「テアトル鎌倉」開館。31年7月、「鎌倉劇場」(現在の笹目町、のちの鎌倉日活)、そして大船に「大船オデオン座」が開館した。
 映画の最盛期に登場したこれら映画館もテレビの普及、娯楽の多様化などで観客数も激減。39年「鎌倉市民座」、44年「鎌倉名画座」、45年に「鎌倉日活」、63年に「テアトル鎌倉」、そして平成6年「大船オデオン座」と相次ぎ閉館となって、鎌倉の映画館はすべて消えた。
 「テアトル鎌倉」閉館には旧鎌倉で最期の映画館を守ろうと「テアトル鎌倉の灯を守る会」が結成され、反対の署名運動まで展開したのだが叶わなかった。

 その活動に奔走した主婦たちによる「鎌倉で映画と共に歩む会」(代表・藤本美津子さん)が発足し、現在も自主上映活動を続けている。

  熱い映画の時代は終わった

  第2部で座談会「映画館の想い出」が、映画を語らせたら止まらないというエッセイストの門田京蔵さん、麦秋会を主宰、小津作品の上映に力を注ぐ渡利晴夫さんと、増谷さんの座談会。数々の思い出は尽きないが、映画館が消えた今、DVDでかつての作品を観ているそうで、「熱かった映画の時代は終わった」というのが結論となった。

 
 
 
 

やっぱり大晦日は除夜の鐘をつこう!

 
 

・建長寺 23時45分頃から道場横の鐘がつける。 TEL22−0981
・円覚寺 23時から108回。 TEL22−0478
・東慶寺 23時開門、0時から。TEL33−5100
・浄智寺 23時から整理券配布、先着108名 TEL22−3943
・浮光明寺 0時から1時まで何名でも。 TEL22−1359
・瑞泉寺 0時開門、何名でも。TEL22−1191
・本覚寺 23時45分から1時30分まで。 TEL22−0490
・長谷寺 23時開門、整理券配布、先着108組 TEL22−6300
・満福寺 23時45分から何名でも。お汁粉、お神酒がふるまわれる。 TEL31−3612
・薬王寺 23時45分から何名でも。TEL22−3749
・抄本寺 23時30分から並び0時から108打 TEL22−0777
・青蓮寺 22時45分から107回を年内、108回目を新年につく。 TEL31−1352
・杉本寺 23時30分開門、108名 TEL22−3463
・光明寺 鐘楼堂の前に並び0時から順次つく TEL22−0603
・大船観音寺 23時から先着順に整理券(300円)配布、0時から。 TEL43−1561
・龍口寺 23時より整理券配布。 TEL046−6125−7335

 
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